プレゼン②

中島とそこに建つ建物(Cグループの発表)

大堤から池の中ほどを見ると、島が見えます。中島と呼ばれています。そこには建物が建っていて、西側の山と中島との間には、つり橋が架かっています。さっき、その近くを通って来ましたね。 まるで、絵画のようなきれいな景色です。

中島とそこにある建物

わたしたちは、「中島とそこにある建物」について発表するよ。
中島は、もともと中山という低い山があったのを、周りを池に掘る時、わざと残したんだよ。
大きな池の中に島があると、波を途中で一回止め大堤に当たる波の力を弱くできるんだって。いわば、防波堤の役目らしいよ。よく考えているね。
それに、島があったら景色がいいよね。そこまでやそべえさんが考えたかどうか分からないけど…。

N.先生からのプラスα

Cグループの説明を絵図に表すと、このようになるかな。

中島とそこにある建物・・・Cグループ 続き

さらに、建物が建つともっと景色がいいよね。でも、建物は、ずっと後で建ったんだよ。
もとは、徳川三百年記念(大正6)に徳川頼倫公の別荘として、和歌山市の和歌浦東照宮の下に建てられたんだって。双青閣と名づけられて、金閣寺・銀閣寺と同じ大きさなんだって。すごい!
その後、昭和43年6月に、現在の中島に移築されたんだ。そして、つり橋を架けて、周りも整備されて多目的広場ができているんだ。
春の桜祭りの頃には、戸が開けられてお茶会が催されるんだよ。私、お茶を習っているから知っているんだ。 でも、「双青閣」って言う名前の由来は?

N.先生の名推理

双青閣の名前の由来について

いろいろ調べたけど確かな答えが見つからなかったので、資料から推理してみたよ。

Y先生は、インターネットでいろいろ検索してくれた結果、「和歌浦東照宮には、家康公が大権現として祭られている。後に、その子どもで紀州初代藩主の頼宣公も南龍大神として祭られた。二人の青龍ということから、頼倫公が「双青」と名づけたのではないだろうか。」と推理してくれたよ。

N.先生は、次のように推理してみたよ。
「中島に立っている『双青閣の由来』という説明に、頼倫公の次のような和歌があった。
【我庵の池とも見ばや青がきの山かげうつる和歌の浦波】
青々とした山(昔は緑と言わなかった)。それが映る和歌浦の青い海。 その2つの青から名づけたのではないだろうか。」

あなたの推理は?

新亀池ができた理由とその役割

さあ、先に進んでいきましょう。
大堤に建つ石碑の向こうにある余水吐の上に石橋が架かっています。そこを渡ると、すぐに建物が見えてきます。樋の口の開閉を操作する機械小屋でしょう。樋の口は、六箇所あるようです。
遊歩道を進んでいき、木立から竹やぶに変わったかと思うと、急に視界が広がりました。そして、もう一つ、池が現れました。新亀池です。

余水吐…堤の上まで水があふれないよう、
一定以上増えた水を流す溝のような所。→

樋の口が6箇所ある。左の1箇所ふたが開いている。この上に、機械小屋がある。→

この竹やぶの遊歩道を抜けると・・・

新亀池ができたわけとその役割

この樋を開けると

水路を通り水が亀池へ

新亀池は、昭和6年(1931年)にできたよ。亀池を造ったのは1710年だから、221年後になるね。
亀池があるのに、さらに新亀池を造ったわけを、ぼくは、水量を調節するためと思っていたけど、予想が当たっていたよ。
新亀池に水を溜めておいて、亀池の水位が低くなったら水を送るんだね。それに、大雨が降ったりして亀池の水量が増えたら、送る水を少なくしたり止めたりするんだね。いつでも田んぼに必要なだけ水があって安心だね。
亀池が築造された時には、【阪井外十箇大字】だったけど、これで、十三箇大字になったんだね。小野田も入れてもらえてよかったね。

N.先生の名推理

亀池築造の時に、小野田に水を引かなかった?

古老(高齢の人)の話によれば、「小野田には小さな溜池が多く、当時、亀池の水を必要としなかったのだろう。」とのこと。
そのため、おそらく築造のための人手を大字として出さなかったものと思われる。
後年、水の必要性を感じ、記録によれば、明治42年(1909年)以降、何度も水利組合への加入を希望したが実現せず、やっと加入できたのは、新亀池が完成してからである。このときには、きっと工事の人手や費用を負担したのだろうね。

N.先生からの?(はてな)

次のぶんが正しければ◯を、まちがいであれば☓を選びましょう。
  1. 新亀池を造ったのも、井沢やそべえさんである?
    ◯か ☓か
  2. 新亀池ができたおかげで、小野田も、田んぼに水が引けるようになった?
    ◯か ☓か
  3. 新亀池ができたことで、貯水量(貯める水の量)が増えた?
    ◯か ☓か

新亀池ができたわけとその役割
・・・Dの発表 続き

新亀池の東側の岸に、たくさんの石の仏さまが建っていたよ。 ちょうど堤を通りかかった人に理由をたずねたら、その人がよく知っていて教えてくれたよ。
「お不動さんを信仰している黒江の漆器屋さんが、新亀池のそばにお不動さんを建てて祭っていました。それに共鳴した人たちが寄付をしました。そのお金を使ってたくさんの石仏を建てました。それが今のようになったんですよ。」

下の台に「不動明王」や「薬師如来」、「地蔵菩薩」、「観音菩薩」などの仏様の種類が書いてあったよ。その横に書いているのは寄付をしてくれた人の名前だって。
あれだけたくさんの石の仏さまが建っているのは、きっと多くの寄付があったんだね。池を大切に思う人が多いということかなあ。

新亀池ができたわけとその役割
・・・Dの発表 続き

ぼくは、亀池の水源について調べたよ。
「その水源は、亀ノ川の上流、海南市冷水の亀の欠から求めている。亀の欠から約4km【*大堤の石碑には、三十二町と書かれていたね。】の任せ溝(水路)が山裾を這うようにつけられている。亀池の南谷に降る雨水と亀ノ川の上流から取水した水路が周辺の雨水を寄せ集めて亀池に注いでいる。」
と、歴史民俗資料館の本に書かれていたよ。
ぼくは、この亀の欠の近くをおじいちゃんの車で通ったことがあるよ。おじいちゃんは、「亀の欠というのは、弥惣兵衛さんが水を引き込んだとされる場所より、もっと上流の大岩のある所なんだが…。」と言っていたよ。

まあ君は東畑に住んでいるので、ひや水にある亀の欠の近くを車で通ることがあるんだね。私も、子どもの頃に亀の欠の場所を、そう聞いたのです。やっぱり!?この真偽は、またの機会に追究したいです。

N.先生からの?(はてな)

任せ溝の水を、石仏の所で池に引かずに、新亀池を半周回った所から落としているのはどうしてだろうか。
ヒント
  • やそべえさんの任せ溝(水路)をそのまま使おうと思った。
  • 別に深く考えずに、何となく水路を遠回りした。
  • ほかに考えられる理由は?
    (堤に関係?)
    ( 高さに関係?)

N.先生からのプラスα

任せ溝をたどって

〜亀の池の取水口から新亀池まで〜

実は、この間の日曜日、亀池の水源地を訪ねて、私は、任せ溝ウォッチングをしてきたのです。
写真を見せながら、みなさんをご案内しましょう。

亀の欠の取水口。簡単に掘っただけの溝だね。

取水口の上流

取水口の下流

取水口の水量を調整する樋

任せ溝の出発点

整備された任せ溝

任せ溝から見えた南野上小学校

昔の土石のまま?

山すそに沿う任せ溝

ゆるやかな流れが続き、新池を経て、新亀池へ至る。

N.先生からの?(はてな)

亀池へ引く水を、亀ノ川の近いところから引かずに、
4kmも離れた上流の亀の欠からひいたのはなぜだろうか?
ヒント

途中の任せ溝から見下ろす亀の川の流れ→